この15年…

 えーと、暗い書き出しで何なんですが…今週頭にウチで飼っていた犬が逝きました。生後3カ月でウチに来て、丸15年(人間でいうと80歳位でしょうか)。
 そもそも、犬を飼いたいと言い出したのは弟でした。実はプロペラは動物が大の苦手(というか本能的に怖いのです。)でして、ワタクシに輪を掛けて人付合いの苦手な弟のこと、ヤツも当然、動物は苦手と勝手に思い込んでいましたので、弟の口からこの話が出た時は正直驚きました。
 母親と私は犬を飼うことに反対しましたが、弟は頑として譲りませんでした。考えてみると後にも先にも弟が自分の要求を通したのはこの1回きりだったと思います。
 結局は、静観していた父親が、弟が全面的に責任をもって面倒を看るという条件で犬を飼うことを許可しました。
 結論から言いますと、弟は最後までしっかりと犬の面倒を看ました。
 そして、驚いたことに、静観を決め込んでいた父親が誰よりも率先して犬の面倒を看ていました。仕事から帰るとまず犬のところに行き、会話をします。どんなタイミングなのか当人にしか分からないのですが、食事の途中でも犬のところに行ってしまうほどの溺愛っぷりでした。母親はそんな父親の姿を見て、「自分の子供の時はこんなに熱心ではなかったのに…」と半ば呆れていました。
 私としては、無趣味な父親が仕事を辞めた後の生きがいとして犬との生活を楽しんでいることにある種の安心を覚えていました。
 そんな中、丁度先週の木曜日、実家に帰省した際に、犬の異変に気付きました。足が弱っていて自力での歩行が困難な状態になってました。翌日には、またこちらに戻ってきたため、弟とメールでやりとりをして犬の近況を聞くと、あまり良い方向にはならないとのことでした。それから3日後に訃報のメールが届いた次第です。
 弟の話によれば、食事もままならなくなった犬に対し、亡くなる前日の深夜から当日の明け方までは弟が側で寄り添い、明け方から亡くなるまでは父親が、ずっと寄り添っていたということです。
 普段、こちらが長文のメールを送っても(弟からメールが来ることはほとんどありません。)返事は「わかった。」の5文字しか打たない弟がこの日、プロペラに送ってきたメールは…

「やっぱ、ダメだった。苦しまずに逝ったらしい。最後まで親孝行な奴だったよ。」

 …というものでした。不適切な言い方かもしれませんが、飼い犬の死を通して弟の成長を感じたというか、何と言いますか、犬を飼ったことは決して間違いではなく、多くのモノを与えてもらえていたのだなと、弟のメールを見て考えさせられました。

15年間本当にありがとう。